Saucy Dog(サウシードッグ)ライブ&フェスのセトリ定番曲20選|初心者におすすめ

◇ Saucy Dog(サウシードッグ)のライブは、なぜこんなにも温かい?

静寂も歓声も、すべてが「生きてる」ことを感じさせてくれる時間。

ステージが暗転しても、どこかあたたかい光が残る。
サウシードッグのライブに足を運ぶたび、筆者はいつもそんな“優しさの温度”を感じる。大きな演出があるわけじゃないのに、会場の空気がやさしく包み込んでくれる瞬間がある。誰かが泣いて、誰かが笑って、それを誰も責めない。そこにあるのはただ「生きている」人たちの呼吸と心の音だ。

ライブの始まりを告げる「現在を生きるのだ。」の力強さに鼓舞され、
「夢みるスーパーマン」では笑顔があふれ、
「馬鹿みたい。」や「よくできました」では涙がこぼれる。
感情の振れ幅が大きいのに、どの瞬間も不思議と温かい。
それは、サウシードッグが“悲しみを否定しないバンド”だからだと思う。

たとえば、石原慎也がライブで語った「大人はなかなか『よくできました』って言われないけど、みんな生きてるだけで偉い」という言葉。
そのひとことで、筆者の中にあった小さな痛みがほぐれていった。
彼らのライブは、心に貼られた“痛み止めのシール”みたいなものだ。
完全に治してくれるわけじゃないけど、少しだけ呼吸を楽にしてくれる。

激しいモッシュで汗をかいたあとに訪れる、静かなアコースティック。
クラップで揺れたあとに、涙で言葉を失う時間。
その振れ幅の中に、サウシードッグというバンドの真価がある。
優しさと強さ、光と影、すべてを抱きしめたまま「今を生きる」――その姿勢こそが、彼らのライブを特別なものにしている。

今回の記事では、そんなサウシードッグの“温かさの理由”を、
これまでのライブやフェスで何度も体感してきた筆者の視点から、
ライブ定番曲20曲とともに振り返っていく。
涙が出ても、笑顔になれる。そんな時間をもう一度、思い出してほしい。

◇ Saucy Dog(サウシードッグ)ライブ&フェスセトリ定番の人気曲20選

  1. 優しさに溢れた世界で
  2. シンデレラボーイ
  3. 現在を生きるのだ。
  4. 夢みるスーパーマン
  5. 雷に打たれて
  6. 雀ノ欠伸
  7. ゴーストバスター
  8. 馬鹿みたい。
  9. poi
  10. よくできました
  11. おやすみ
  12. Be yourself
  13. スパイス
  14. この長い旅の中で
  15. メトロノウム
  16. 怪物たちよ
  17. シーグラス
  18. film
  19. いつか
  20. 真昼の月

1. 優しさに溢れた世界で

この曲が始まった瞬間、空気が一気にやわらいだ。
東京ガーデンシアターで聴いたとき、会場全体が“優しさ”という言葉に包まれるような感覚だった。ステージのスクリーンには歌詞が映し出され、石原慎也が「学生の皆さんお疲れ様! 働いている人も頑張っているね」と語りかける。その声に応えるように、観客が自然とサビの《積み上げた一瞬はきっと…》を歌い始め、音よりも人の声が会場を満たしていった。

サビの終わりで石原がマイクを離すと、演奏が止まり、観客の声だけが響く時間になる。数千人が一緒に歌って、拍手が波のように続く。隣の人も涙を拭っていて、筆者も思わず胸が熱くなった。あの瞬間だけは、ステージと客席の境界なんてなかった。

DEAD POP FESTiVAL 2024でも、この曲は特別だった。激しいモッシュのあと、石原が「歌える人は一緒に」と呼びかけると、太陽の下で野外全体が大合唱になった。フェス初参加の人も、家族連れも、誰もが声を重ねていた。サウシードッグのライブって、こういう“人の優しさ”でできてるんだと改めて感じた。

2. シンデレラボーイ

アリーナでこの曲のタイトルが告げられた瞬間、拍手と歓声が広がった。けれど演奏が始まると、数万人が息を潜めたように静まり返る。 あの空気の張りつめ方は今でも忘れられない。照明が落ち、ステージに立つ石原慎也の声だけが響く。〈青い春〉というフレーズが流れた瞬間、あちこちで涙を拭う姿が見えた。筆者も気づけば目頭が熱くなっていた。

イントロを聴いた瞬間、隣にいた友人と顔を見合わせて笑った。**「やっと聴けた」**という気持ちが重なって、ただそれだけで胸がいっぱいになった。サビに向かうほどに、心が静かにほどけていくようだった。

演奏が終わったあとの数秒の静寂も特別だった。誰も声を出さず、深呼吸するようにその余韻を味わっていた。
この曲には、悲しみを癒すというより、そっと寄り添ってくれるような温度がある。ライブの中で一番静かなのに、一番強く心に残る時間だった。

3. 現在を生きるのだ。

ステージが暗転し、静かなストリングスが流れ始める。
その音に包まれた瞬間、筆者の胸の奥がざわめいた。照明が一気に広がると、バンドの音にキーボードが重なり、壮大なアレンジで「今を生きる」という言葉が会場を貫いた。 ホールツアーでの特別バージョンは、演奏が進むたびに音が増えていく演出で、フロアから自然と手拍子が起きていた。
あのときの手拍子は、誰かが誘ったわけじゃない。気づいたらみんなが“今”を掴もうとしていた。

アリーナでは、この曲のあとに「夢みるスーパーマン」や「雷に打たれて」が続くことが多い。その流れはまるで一つの物語のようで、筆者も拳を突き上げながら「今を生きろ!」と叫んでいた。 声を張り上げたというより、自然に身体が動いていた。

ライブ後、SNSでは「この曲で人生が前向きになった」という投稿をいくつも見かけた。筆者にとっても、過去でも未来でもなく、“今ここにいる自分”を肯定してくれる曲。サウシードッグのライブが特別なのは、こういう瞬間をみんなで作れるからだと思う。

4. 夢みるスーパーマン

「現在を生きるのだ。」が終わったあと、照明がぱっと明るくなり、この曲のイントロが始まる。たったそれだけで、会場の空気が一気に軽くなる。 ホールツアーでは石原慎也が笑顔で「僕がヒーローになるんだ」と歌い出し、観客が腕を振り上げながらサビを大合唱していた。筆者もその中にいて、まるで“自分もヒーローになれる気がした”。

2025年のツアーでは、曲の前に「皆さんのヒーローになりたい」と宣言するMCが定番になっていた。あの言葉のあとにイントロが鳴ると、客席から歓声が爆発する。笑顔とクラップが止まらないあの空間は、まるで光そのものだった。

フェスでは、この曲が始まった瞬間からモッシュが起き、野外全体がジャンプで揺れた。 石原がステージに手を振ると、“おかわり!”コールが起きて笑いが広がる。サウシードッグのライブには、悲しみを抱えたままでも笑顔になれる瞬間がある。この曲は、まさにその“きっかけ”になる一曲だと筆者は思う。

5. 雷に打たれて

照明が暗転し、ベースの秋澤のソロが鳴り始めた瞬間、ステージ上に稲妻の映像が走った。 ホールの空気が一気に緊張に包まれ、観客がリズムに合わせて手拍子を打ち始める。光が走るたびにテンションが少しずつ上がっていくのが分かった。筆者もその中で、次の瞬間を待ちながら心臓が高鳴っていた。

バンドが「気をつけて!落雷に注意!」と笑いながら叫ぶと、客席から歓声が上がり、拳が一斉に突き上がった。 低音が体に響くたび、胸の奥まで震える。まさに“雷に打たれた”ような衝撃だった。隣にいた人も思わず笑顔になっていて、重たい音なのに、空気はすごく明るかった。

2025年のツアーでは、この曲の前に「この長い旅の中で」が流れ、映画のような映像演出が入る。そこから突然「雷警報!」の声とともにイントロが始まり、会場全体が爆発したように揺れた。 あの瞬間、音と光と歓声が完全にシンクロして、まるで嵐の中にいるようだった。

6. 雀ノ欠伸

この曲が始まると、自然と身体が動く。
イントロで石原慎也が「やれるか東京!」と叫ぶと、観客が一斉に手拍子を倍速にして応える。 会場のリズムがどんどん速くなっていくのが分かって、筆者も気づけば腕が痛くなるほどクラップしていた。でも、不思議と苦じゃない。息が上がっても笑顔が止まらない――そんな空気が、この曲にはある。

BUZZ RHYTHM LIVE 2024では、「シンデレラボーイ」の流れから続けて演奏された。Bメロで石原が手を叩いて煽ると、観客がそのテンポに合わせて一斉にクラップを重ねる。ステージ上のカメラマンが手を振ると、それに合わせて客席も左右に揺れる。 あの瞬間、アリーナ全体が音に合わせて一つの生き物みたいに動いていた。

SNSでも「腕が疲れるけど楽しい」と笑い混じりの感想が多く見られる。
筆者にとっても、サウシードッグのライブが“体で楽しむ場所”だと実感できる一曲。 ただ聴くんじゃなく、みんなで“鳴らす”曲だと思う。

7. ゴーストバスター

イントロが鳴った瞬間、空気が変わる。
照明が一気に赤く染まり、火柱とレーザーが噴き上がった瞬間に観客の拳が一斉に突き上がる。 まるでアリーナがライブハウスになったようだった。筆者の周りでは、リズムに合わせて跳ねる人、叫ぶ人、笑いながらぶつかる人――誰もが音に身を委ねていた。〈ドンドン〉のフレーズでは、客席全体が手を左右に振る動きが完全にそろい、巨大なうねりが生まれる。SNSで“サウシー版ウォールオブデス”と呼ばれるのも納得だ。

DEAD POP FESTiVAL では、モッシュやサークルが自然発生し、石原が「モッシュが苦手な人は逃げて!」と笑いながら注意を促す。 暴れる人もいれば、後方でじっと聴き入る人もいる。激しさと優しさが同居する、不思議な空間だった。

筆者はこの曲を聴くたびに、“立ち向かう力”をもらっている気がする。 どんなにしんどい日でも、この音の中では前を向ける。サウシードッグがただ明るいだけのバンドじゃないと、改めて感じさせてくれる一曲だ。

8. 馬鹿みたい。

イントロが流れた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
筆者の周りでも思わず声を上げる人がいて、嬉しさと切なさが同時に溢れるあの瞬間は、今でも忘れられない。照明が落ちて、静まり返った会場の中で石原慎也の声だけが響く。〈君のために泣きたい〉という一節が流れたとき、嗚咽をこらえるように肩を震わせている人が見えた。筆者も目の奥が熱くなって、涙をこらえるのに必死だった。

2025年のホールツアーでは、序盤のブロックでこの曲が登場する。
「君ト明日」や「現在を生きるのだ。」と並んで演奏され、手拍子とシンガロングが自然に広がる。悲しい歌なのに、なぜか前を向ける空気が生まれる。 それがこの曲の一番不思議な魅力だと思う。

SNSには「この曲を聴くと泣けるけど心が軽くなる」という声が多い。筆者もまったく同じだった。失恋の痛みを優しさに変えてくれる、サウシードッグの真骨頂のような曲だ。

9. poi

ステージが暗転したあと、何の前触れもなく石原慎也が歌い出した瞬間、客席から驚きの歓声が上がった。 まだ音源も出ていなかった頃で、ファンは息を詰めてそのワンコーラスに耳を澄ませていた。筆者もその場にいて、「これが新しいサウシーの始まりなんだ」と鳥肌が立ったのを覚えている。
石原が「行くぜ!行くぜ!」と煽ると、ドラムのせとゆいが「やらなくていいよ!」と返す掛け合いに会場中が爆笑。そのまま軽快なリフに突入し、拳を突き上げながらサビを叫ぶ光景が広がった。明るくて、少し不器用で、サウシーらしい笑顔の時間。

フェスではこの曲でモッシュピットができることもあるけれど、どこか温かい。暴れるというより、みんなで楽しむためのモッシュ。 “ライブを遊ぶ”ってこういうことなんだと、筆者は改めて感じた。

10. よくできました

イントロが流れた瞬間、空気がふっとやわらいだ。
2025年のツアーでこの曲を聴いたとき、会場全体が静かに息をのんでいた。 石原慎也がMCで「大人はなかなか『よくできました』って言われないけど、みんな生きてるだけで偉い」と語ると、客席のあちこちからすすり泣きが聞こえた。筆者もその言葉に心を掴まれて、思わず涙がにじんだ。

演奏が始まると、手拍子も声もなく、ただ音と言葉だけが広がる。サビで〈君は君のままで〉と歌われた瞬間、観客の中から小さく歌う声がいくつも重なっていった。 声を出していない人も、きっと心の中で同じフレーズを口ずさんでいたと思う。

曲が終わると、拍手と「ありがとう」という声が自然に沸き起こった。
派手な演出は何もないのに、この曲には心をほどく力がある。 サウシードッグの優しさがいちばん素直な形で届く時間だった。

11. おやすみ

「離れている人を思い浮かべて聴いてほしい。」
石原慎也のその一言で、会場の空気がそっと変わった。照明が淡く落ち、ピアノの音が静かに響き始める。隣同士で手を握りながら目を閉じる人、涙をぬぐう人――誰もが大切な誰かを思い浮かべていた。 筆者も同じように、心の奥で誰かの顔を思い出していた。

2025年のホールツアーでは、「よくできました」からこの曲へ続く流れが定番になっていた。
石原が「この曲で今日の疲れを全部流してほしい」と語り、演奏が終わっても拍手がすぐには起きない。 ただ静寂だけが残って、みんなが余韻を味わっていた。

ステージの光がゆっくりと消える瞬間、筆者は“おやすみ”という言葉の重みを初めて実感した。優しさで終わるライブって、こんなにも温かいんだと思った。
この曲は、1日の終わりに心をそっと抱きしめてくれるような存在だ。

12. Be yourself

この曲が始まると、「今日が終わるんだ」と少しだけ寂しくなる。
でも同時に、会場全体が“生きてる”って実感に包まれる。 2025年のツアーでもアンコールの最後に演奏され、スクリーンには英語と日本語の歌詞が映し出された。〈Don’t let it get you down / 君は君らしくいてよ〉のフレーズが流れると、観客が一斉に歌い出す。バンドの音が止まっても、手拍子と歌声だけで会場が揺れる。 あの光景は何度見ても涙が出る。

石原慎也はMCで「間違ってもいい、自分のために生きよう」と何度も語りかける。
その言葉に拳を突き上げる人、涙をぬぐいながら隣と肩を組む人。みんながそれぞれの“Be yourself”を体現していた。 フェスでは紙吹雪が舞い、見知らぬ人同士が笑顔で歌い合う。初めて来た人も、気づけば声を出していた。

筆者にとって、この曲は「また明日も頑張ろう」と自然に思える魔法みたいな時間だ。
ライブが終わっても、手拍子の余韻がずっと耳に残っていた。

13. スパイス

アコースティックコーナーで照明が落ち、石原慎也が静かにギターを鳴らす。
「辛いことも、いつか人生のスパイスになる。」
その一言に、客席から自然と拍手が起きた。 2025年のツアーで初めて披露されたこの曲は、派手さこそないけれど、聴く人の心にじんわりと染みていく。筆者もその言葉を聞いた瞬間、これまでの苦しかった日々が少しだけ肯定された気がした。

ライブではギターとカホンだけのシンプルなアレンジ。
音の隙間に、優しさと温度があった。 客席には子ども連れの家族も多く、小さな手がリズムに合わせて揺れていた。その光景が、何よりもこの曲のメッセージを物語っていたと思う。

「スパイス」というタイトルの通り、痛みや悲しみも全部、生きる味になる。
筆者はこの曲を聴きながら、“今の自分も悪くないな”と素直に思えた。
サウシードッグの優しさが、いちばん静かな形で届く瞬間だった。

14. この長い旅の中で

ステージのスクリーンに映像が流れ、静かなピアノの音が響く。
2024年のアリーナツアーでこの曲が初めて披露されたとき、まるで映画のエンドロールを見ているような感覚だった。 石原慎也の力強いボーカルと映像演出が重なり、曲が終わっても誰も拍手をできないほどの余韻が残った。筆者もただ立ち尽くして、その世界に浸っていた。

2025年のツアーでは、本編後半に配置されるようになった。
スクリーンには旅路を象徴する映像が流れ、観客それぞれが自分の人生を重ねて聴いていた。 筆者も「ここまで来たな」と心の中でつぶやいていた。音の一つひとつが、“これまでのサウシードッグ”と“これからのサウシードッグ”を繋いでいるように感じた。

曲が静かに終わると、すぐに「雷に打たれて」へ突入する。
その流れがまるで物語のクライマックスのようで、シネマティックな余韻が一気に爆発する瞬間。
ライブの中でも特別な“転換点”として、強く印象に残っている。

15. メトロノウム

中盤の照明がゆっくり点滅し、石原慎也が「俺たちの歌だ!」と叫ぶ。
その瞬間、客席から自然に手拍子が起こり、リズムが一つになった。 まるで見えない指揮者がいるみたいに、誰もが同じテンポで手を叩いていた。曲が進むにつれて手拍子の速さが増し、ライトもテンポに合わせて点滅する。筆者もその光の中で、心臓の鼓動と音が重なっていくのを感じていた。

サビの合唱では、「生きている」という実感が会場全体に広がる。 声を張り上げるというより、心の底から湧き出るような歌声。ラストの一拍まで鳴り止まない手拍子のあと、あちこちから「ありがとう!」という声が飛んでいた。あの一体感は本当に特別だ。

SNSでも「曲のリズムに心拍が重なる感覚がある」という声が多い。
筆者もまったく同じだった。人生って、きっとこの曲みたいに、テンポが揺れてもちゃんと続いていく。
そんな希望をもらえた時間だった。

16. 怪物たちよ

イントロが流れた瞬間、空気が一気に張りつめた。
照明が落ちて、ステージには「怪物たち」の映像。2024年のアリーナでは、ガスマスクをつけた影がスクリーンに映り、不安と静寂が同時に押し寄せた。 石原慎也の歌声が響き始めると、会場の誰もが動かなくなる。息をするのも忘れるほどの緊張感。筆者もただ立ち尽くして、心をえぐられるように聴いていた。

〈君がここにいる間だけでも 優しい人であってほしい〉
この一節が流れた瞬間、涙を拭う人がいくつも見えた。
2023年のホールツアーでは本編ラストに置かれ、石原の鬼気迫る歌唱に会場中が号泣していたという。筆者もその場で、悲しみと優しさが混ざったような不思議な感情に包まれた。

演奏が終わったあと、静寂の中に「ありがとう」という声がぽつりと響く。
それを受けて石原が「皆の心に住みたい」と言った。
悲しみの中に人の温度がある――そんなことを実感した時間だった。

17. シーグラス

イントロが鳴った瞬間、客席から自然に手拍子が起こる。
石原慎也が「やれるか東京!」と声を上げると、観客が腕を大きく振りながらリズムを刻む。その動きがまるで波のうねりみたいで、ライトの青い光が揺れるたびに、会場全体が“夏の海”になっていくようだった。
筆者もその波の中で、身体の力がふっと抜けていくのを感じた。

この曲は「雀ノ欠伸」に続いて演奏されることが多い。
激しさのあとに訪れる穏やかな時間。石原がMCで「今日も元気だね」と笑うと、観客も笑顔で応える。
SNSでは「この曲で夏の匂いがよみがえった」という感想が多く、懐かしさと優しさが同時に広がる時間として語られている。

筆者にとっても、“心を整える”という言葉がぴったりの曲。
跳ねるでも叫ぶでもなく、ただ音と光に身を任せて揺れるだけで、少しだけ生きるのが楽になる。そんな静かな魔法のような時間だった。

18. film

アコースティックコーナーで椅子に座ったメンバーたち。
石原慎也とせとゆいが向かい合って、二人の声が溶け合うようにハモる。 カホンの柔らかいリズムとアコースティックギターの音が重なって、まるで映画のワンシーンを見ているような空気が流れる。筆者も息をするのを忘れるほど、その“静かな物語”に引き込まれていた。

2025年のツアーでは、「エピローグ」から「film」、そして「この長い旅の中で」へと続く流れが定番になった。
まるでエンドロールを見ているような時間。 ステージの光も温かく、音の余韻が客席にゆっくり溶けていく。

〈フィルムに閉じ込めた思い出〉という歌詞に、自分の過去を重ねる人も多い。筆者もその一人だった。
演奏が終わると、拍手がすぐには起きず、静かに広がっていく。泣くでも叫ぶでもない、ただ“ありがとう”という気持ちだけが残る。
この曲があることで、ライブ全体が一つの物語として完成していくのを感じた。

19. いつか

夜の静けさの中で、そっと心に灯る曲。
イントロが流れた瞬間、会場が一気に静まり返り、それぞれの“君”を思い出しながら涙をこぼす観客が多い。
歌詞〈僕らは初めて手を繋いだ〉という一行に始まる物語は、恋人同士になったばかりの2人の記憶と、もう戻らない時間を描いている。
石原慎也の穏やかな声が〈忘れられんなぁ〉と響くたびに、客席からは小さな嗚咽が聞こえる。

「“君”はもうそばにいない」「また“いつか”会える日を夢見るしかない」――
そんな喪失と再会への願いが、この曲の核にある。
同時に、“いつか”という言葉には過去への想いと未来への希望が重ねられており、
聴く人によって解釈が変わる“余白のある優しさ”がある。

ライブでは、石原が語りかけるように歌うだけで、何も演出がなくても会場全体が呼吸を止める
悲しみを抱えたままでも前を向ける――
「いつか」は、そんな生きる痛みと優しさの間にある光を描いた名曲だ。

20. 真昼の月

ステージが暗くなり、白い光がゆっくりと広がっていく。
照明はまるで本物の月のようにやわらかく、ステージを包み込むように淡く揺れていた。 イントロが始まると、観客が自然と腕を上げ、両手で丸を作って“月”の形を作る。誰に言われたわけでもないのに、会場全体が一つの月になったみたいだった。筆者もその中で、胸の奥が静かに温かくなっていくのを感じた。

この曲は近年ほとんど演奏されず、ファンの間では“幻の一曲”と呼ばれている。
それだけに、披露されると誰もが息をのんで聴き入る。音が少なく、言葉も少ない。
ただ光と歌声だけが、夜の静けさを描いていた。
2019年の武道館でこの曲がオープニングを飾ったとき、観客が静かに手を上げたというエピソードも今でも語り継がれている。

曲が終わると、誰もすぐには拍手をしない。
深い溜息のような静寂が会場を包み、まるで夢から覚める瞬間のようだった。
筆者にとって「真昼の月」は、“静けさの中で生きている”ことを思い出させてくれる曲。
サウシードッグのライブを締めくくるには、これ以上ないほど美しい余韻だった。

◇ Saucy Dog(サウシードッグ)の音楽は、優しさでできている。

――涙も笑顔も、生きている証だ。

ライブが終わって照明が戻る瞬間、筆者はいつも胸の奥が温かくなる。
全身が疲れているのに、心は不思議と軽い。サウシードッグのライブは、“癒し”というより“浄化”に近い。 悲しいことも苦しいことも、彼らの音の中ではすべてが肯定されていく。間違いも、弱さも、誰かを思って泣いた夜も――全部、ちゃんと生きてきた証だと教えてくれる。

彼らのライブに流れる空気は、決して派手ではない。
でも、観客一人ひとりが作り出す“人の温度”がそこにはある。
「現在を生きるのだ。」で拳を突き上げ、「馬鹿みたい。」で涙を拭い、
「Be yourself」で肩を組んで歌う。その瞬間、誰もが同じ時間を生きている。
たった数時間のライブなのに、そこには確かに“人生”が詰まっている気がする。

石原慎也がMCでよく言う、「生きてるだけで偉い」という言葉。
それは、ライブを見ている筆者たち自身にも向けられたメッセージだ。
完璧じゃなくても、上手く笑えなくても、ちゃんと今日を生きた。
そんな自分を少しだけ好きになれる夜が、サウシードッグのライブだと思う。

20曲を通して感じるのは、彼らの音楽が**“優しさの連鎖”**でできているということ。
悲しみを知っているからこそ、他人に寄り添える。
涙のあとに笑顔があるように、サウシードッグのステージにはいつも光が差す。
それは音の力ではなく、人の想いの力だ。

ライブが終わって会場を出ても、耳の奥にはまだ余韻が残っている。
「君は君のままで」という声が、夜風の中でそっと響く。
筆者はそのたびに思う――
サウシードッグの音楽は、優しさでできている。
そしてその優しさが、また誰かを明日に向かわせている。

◇ よくある質問(FAQ)

Q1. サウシードッグのライブは初めてでも楽しめますか?
A1. まったく問題ありません。観客の雰囲気がとても優しく、初参加でも自然に笑顔になれる空気があります。激しい曲ではモッシュもありますが、後方では座って聴いたり、手拍子だけで楽しむ人も多いです。サウシードッグのライブは「それぞれの楽しみ方を尊重する空間」。静かな曲ではみんなで息を合わせて聴く時間があり、安心して参加できます。


Q2. 一番盛り上がる曲はどれですか?
A2. 「ゴーストバスター」や「雷に打たれて」では、拳を突き上げる一体感が生まれます。会場が赤や青のライトで染まり、ジャンプとクラップが止まらない。
一方で「Be yourself」や「優しさに溢れた世界で」では、会場全体が大合唱になる温かさがあります。泣く人、笑う人、黙って聴く人――その全部がサウシードッグのライブの一部です。


Q3. バラード曲ではどんな雰囲気になりますか?
A3. 会場が一気に静まり返ります。
「馬鹿みたい。」や「おやすみ」では、誰も声を出さずに涙をこらえながら聴くような時間が流れます。終演後には拍手と「ありがとう」という声が自然に起き、
まるで会場全体がひとつの心で呼吸しているような感覚になります。
静けささえも“演出の一部”になる――それがサウシードッグのライブの魅力です。


Q4. サウシードッグのライブで感じる魅力は?
A4. それは「優しさ」と「人間らしさ」です。
悲しみも弱さも否定せず、“そのままでいい”と包み込む空気があります。
石原慎也の言葉や歌声には、聴く人の人生を肯定してくれる力がある。
ライブの終盤で「君は君のままで」というフレーズを聴くと、自然に涙が出る――そんな経験をする人も多いです。筆者もその一人でした。


Q5. ライブに行く前に心がけておくことはありますか?
A5. 特別な準備はいりません。
サウシードッグのライブは、心のままに楽しむ場所です。泣いても笑ってもOK。
もし日常に少し疲れていても、そのままで行ってほしい。
彼らの音楽は、完璧じゃない自分を受け入れてくれる。
会場を出る頃には、「また明日も頑張ってみよう」と思えているはずです。

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